殺人カメラマン

「本物の人物写真を撮ろうと思えば、その被写体の人物を殺さなければならない。」
 無機質な黒さを持った瞳で虚空を眺めながら、写真家は言った。独り言のようにも聞こえるが、ここに居るのは写真家と僕だけなので、僕に言ったのだろう。
 就職活動用の証明写真が欲しかったので、家の近くにあるきちんとした写真屋に行こうと思ってここに来た。しかし、こんなことを客に言うようではどうやらここはきちんとした写真屋ではないみたいだ。
 これから僕はアトリエの中でこの写真家に写真を撮られる。彼は薄緑色の長袖セーターを腕まくりして、カメラのセッティングを始めている。カーテンのように垂れ下がった白い幕をバックにして、僕は背筋を伸ばして椅子に座っていた。アトリエは少し暖房が効きすぎており、息苦しくて頬が火照っているように感じられる。
 僕は、パントマイムを終えた演者のように姿勢を急に柔らかく崩した。少し考えてから、言った。
「そうですか。それは、昔よく、写真を撮ると魂を抜かれるとか言われてましたが、そういうことですか?魂を抜いて写真に刷り込むみたいに鮮明で、生命力を現したような写真とか。」
 写真家は、カメラのレンズ越しに僕の方を眺めながら、大きい口の右側をつり上げながら言った。
「ずいぶんものわかりのよいお客さんだ。ほとんど正解に近い。」
「ほとんど?」
「そう。少し違う。いや、生と死が対極のものと考えている人にとっては、大きな違いがあるかな。」
 僕は鼻がかゆかったので少し顔をゆがめながら言う。
「と言いますと?」
「私が、被写体を殺さなければならない、と言ったのは、メタファーではなくて、そのままの意味なんだよ。被写体を、殺さなければならない。殺した後に撮る訳ではないよ。撮った後に殺す。私の芸術作品の中に納められた人間は、現実に生きていてはいけないんだよ。私の写真の中でだけ、生きていなくてはいけない。」
「それは、なぜですか?」
「では逆に、私の芸術作品の中で生きている人間が、なぜ現実で生きていなくてはならない?私の芸術作品は完璧だ。今の宇宙が無くなって、新しい宇宙が生まれた時にでも、5次元空間にでも置かれた保存カプセルの中で保管されていた私の作品は発見され、再度評価される。いわば、永遠に残るのだ。作品の中での永遠を約束された人間は安心して、むしろ自分から死を選ぶ。」
「なんとも乱暴な論理ですね。たしかに作品として未来永劫残ることはすばらしい。でも、生きていることとはなんら関係無い。」
「並河くん・・・だったね。並河くん、一つ言っておく。芸術は乱暴で、エゴに満ちあふれてて、狂っているものだ。それを評価する大衆や評論家が一切合切居なくなったとしても、芸術は芸術そのものとして残る。イデアのようなものだ。イデアとしての芸術は、すべてのものを飲み込む。時代が変わり、国が変わり、人が変わったとしても、芸術そのものとしての芸術、これはすべてのものを飲み込んでいくのだ。」
「そうですか・・・。まあそれはいいとして、僕は就職活動用の写真を撮りにきただけなので、芸術作品にしなくてもいいので、命を取らずにある程度のクオリティで撮ってください。」
「私は、芸術家だ。芸術作品しか撮れない。ちまたでは私のことを、写真家兼殺人家とか、殺人カメラマンとか呼ぶが、私は芸術家だ。芸術には人の死の匂いがあふれててしかるべきなのに、愚民はそれを恐れる。」
僕は少しムキになってきていた。
「いや、そういうのいいんで、命取らずに、適当に撮ってください。もう明日には面接があるんですよ。」
「いや、悪いがそれは無理だ。」
「いやいや、そういうのいいんで、ホント。ちゃんと撮ってください。」
「いや、無理だね。私の芸術になりなさい」
 怒りが頂点に達してきた僕は口調を荒げて言った。
「そもそも、芸術芸術言いますが、あなた全然有名ではないじゃないですか!今日初めてあなたの名前知ったし。戦場カメラマンの方がまだ有名ですよ!そこらへんに並べてる作品もちらちら目に入りましたが、全くふつうの写真ですよね。未来永劫残る訳もないし、そもそも芸術作品でもない!」

傷ついた殺人カメラマンは泣き出して、しぶしぶ、命を取らずに僕の写真を撮った。僕は、その殺人カメラマンが、頭がおかしくなることに憧れる、つまらない人間であることを理解していた。