小説8

 昔の知り合いに会った時に、絶対に口に出さないように暗黙の了解となっている類の話題について僕はここで語ろう。もちろんマキに関することなのだが、それはマキの口からでも、山田先生の口から語られるべきでもなくて、当事者では無いが、少なくともマキのそばで彼女の苦しみを見ていた僕から、冷静に語られるべきなのだ。もしかしたら山田先生は医者同士の友達と、このような患者が居た、とマキのことを話して酒の肴にしているかもしれないし、マキも誰かに、昔こんなことがあって・・・と話しているかもしれない。それは僕の知るところでは無いし、仮に話しているとしても、当事者がそういった類の話をすると、どうしても事実が多少歪曲してしまうのではないかと思う。いい意味で歪んだり、悪い意味で歪んだり。だって、マキからこの話が語られるとすると、まだあの男のことを認めようとするかもしれないのだ。
 感情の観点からするともちろん本人たちしかそれを表現することは出来ないかもしれない。しかし、過去の出来事を歴史として俯瞰しようとする時、当事者たちが感情のままに書き付けた歴史書で誰が事実をよく理解出来るだろう?ヒトラーに歴史書を書かせてみたら、とても面白い歴史書が出来上がることだろう。だから僕は、マキとその他周辺人物の間に起こった出来事を歴史として理解し、出来るだけ事実を事実として書き連ね、わからないことは多少の想像を加えながら書いていこうと思う。そして、その当事者たちの感情を出来るだけくみ取りながら、適宜感想を加える。あくまで個人的な。これはいわば、歴史を解説する新書本のようなものか。

 快活な女の子が大学には沢山居た。キャンパスの中はまるでイギリスの古い小説に出てくる社交会場のようで、思い思いに着飾った、テンションの高い貴婦人たちが、目が合えば矯声をあげ挨拶を交わしていた。
 「まあ!ウィルベリウス卿の奥様ではないですか!よくお目見えになって。なんてすてきなお召し物でしょう」
 「あらっ!早苗ちゃん!よく来たね。まだ雄大君と付き合ってるの?かわいい服じゃん!CamCanに乗ってたやつだよね?」
 基本的にキャンパスに居る女の子たちはこのような感じだったので、もちろん僕には女の子の友達なんて居なかった。そもそも、キャンパス内では男の友達でさえ数えるほどしか居なかったのではないだろうか。マキは、僕と同じく経済学部だったが、第二部、つまり夜間学部だった。だから、たまに顔を合わせるとしても、冬場であればすでに真っ暗な時間帯である五時限目だった。僕が通っていた大学は、いわゆるマンモス大学であり、生徒が全員で五万人にも達する大学だった。人間が集まるというのは、それだけ沢山の種類の人間が居るわけで、未だに1970年代の共産主義運動を熱心に続けている人も居れば、上記のようなCamCan系の女子。もしくは在学中に弁護士になる人も居れば、在学中に自殺する人も居た。手品師でも思想家でも、企業家でも、性倒錯者でも、プロレスラーでもロックミュージシャンでも、一つの学部にそれぞれ探すことが出来るのではないか、というほどだ。
 僕の通うキャンパスは、本キャンパスと呼ばれる、大学の中で一番建物の数が多く、人も多いところだったのでなおさらだ。大学の名前を冠した名前であるバス停から徒歩三十秒くらいのところにある、大きく開けた正門をぬけ、左右に学部ごとに分かれた建物を見つつ進むと、学生の憩いの場になっている大きな十字路に突き当たる。そこでは、上記のようにいろんな人間が居て、いろんな話をして、いろんな活動をしていた。あるものは歌い、あるものはパントマイムをし、あるものは似顔絵を書いていた。そんな大学のキャンパスがすでに暗いことに気づいた時、いつもある種の感傷のようなものを感じた気がする。授業を受けている内に、もしくは図書館で三島由紀夫を読んでいる内に(今はほとんど読まないが、大学時代僕はとにかく非道徳、もしくは反体制のようなすべてのものに憧れ、特に種類にとらわれずに文豪と呼ばれる作家の本を読んだ。それはオスカーワイルドだったり、ヘミングウェイだったり、ジェイムス・ジョイスだったり、はたまたマーク・トウェインだったりした)、気づいたら外が暗くなっている。夕暮れという空の一形態を経過していることを意識しながらだんだん暗くなっていくのであればそのような感傷は感じなかったのかもしれないが、外に出ると予想以上に早く、気づかない内に完全なる夜が訪れている冬に対して、僕は何か置いてけぼりを食らった気がするのだ。しかもそのキャンパスの暗さには、そこらの町の暗さと静けさは無く、明るさがあった。夜になっても食堂、教室、もしくはベンチでは、人が絶えず居て、しきりに討論したり楽しく話しをしている。冬の夜のキャンパスは、何故か僕に、戦士たちがクリスマスイヴに、大いなる不安を前にしてウォッカを一晩だけ笑いあいながら飲む、戦場のキャンプを思い起こさせるのだ。それは、往々にして僕がただ孤独だったからかもしれないが。キャンパスというものはいつも僕にとっては寂漠としたものだった。冬の砂漠の真ん中に、観光客が落としていったコンタクトレンズが、零下にも達する気温のせいですっかり凍って、風で割れてしまったような。そんな寂漠感の中で僕は大学の一年生を過ごした。そしておそらく、マキもそのような一年間を過ごして居たんだと思う。
 そのような状態であったから、マキと僕が知り合ったのはキャンパス内ではもちろんなかった。一年目にサークルに入りそびれた人は、大概新歓期が終わった後に新しく入ろうとしはせずに、二年目の新歓期まで待つものだ。何かをやるべき時期にその何かをしなかった(あるいは出来なかった)人間に対して厳しい風潮が日本にはあるように思う。たとえば就職活動。結婚。はたまた童貞の喪失まで。
 僕は一年目の新歓期には、あきれるほど興味の無い宗教サークルに勧誘されることが多く、うんざりしてサークルというものに入るのをやめてしまったが、二年目になり、バンドサークルに入ろうと思い、説明会を聞きにいったのだ。趣味で今までギターを弾いていたが、一般的なアマチュア集団の中で自分がどれだけの技術を持っているのかも興味深かった。とりあえず僕は、全く好きでは無いが、ヴァン・ヘイレンくらいまでは弾ける技量だった。
 学生のサークル活動の為に建てられた大きな建物の地下室に説明会場はあった。そこではキャンパス内と同じく、それぞれの部室ではもちろん、通路でさえも様々な人間が様々な活動をしていた。その大きな白い建物は、内部で渦巻いているいろいろな思想や活動を包み込むのにちょうどいいような気がした。白は確かにいろんな色にすぐ冒されるが、その圧倒的な大きさと白さは、奇妙に完成しており、決して冒されることが無いように思えた。
 Every Little Thingのベストアルバムがラジカセで流れている説明会では、サークルの形態・演奏する音楽のジャンル・人数・スケジュールなど、詳しい説明が行われた。僕は基本的に60〜70年代の古いロックが好きだったが、Jポップも聴く人間だったので、オールジャンルで曲をするというそのサークルを気に入った。僕が初めてマキと話したのは、説明会の後の飲み会でのことだった。持ち前の人見知りさで、あまりうまく場になじめずに独りで唐揚げと、普段は独り暮らしなのであまり採れない野菜をここぞというばかりに口に運びつつ、ビールを沢山飲んで居ると、僕の正面に座ってる人から右へ2、3人挟んだところに居たマキと目があった。一瞬目が合うと、何気なく目をそらすのが普通だが、二人とも目をそらすことが無かった。二人とも周りの誰とも話して居なかったし、目が合ってもすぐにそらす必要が無いかったかもしれないが、そこにはシンパシー、もしくはシンパシーだと両方が誤解しているような何かの必然があった。しかしこれは恋だとかそのようなものでは無いと僕たちはその時お互い理解していた。お互い、まだ名前も知らないのに、「シンパシーのようなもの」がある、と目を合わせただけで理解し、これは恋などでは無い、ということまで理解していたのだ。僕はその時、そんなに高尚であり病的でも無いが、サルトルの「嘔吐」で、アントワーヌ・ロカンタンが酒場で今みたいなシンパシーらしきものを感じたことをふと思い出した。実存主義は、今まで穏健に育ってきた大学一年生の僕にとっては今一つ理解出来て居なかった。目はたぶん3分ほど合い、そしてはずれた。つりあっていた天秤が、左右の比重が変わって崩れる訳では無く、車でもつっこんできて天秤自体が吹っ飛ぶみたいに唐突に。
 結局その飲み会ではマキと話すことも無く、名前を知ったのも後日だった。新入生同士がバンドを組んでライブをするというイベントがあり、そのバンドを決める会議でのことだ。僕は、洋楽のロックをやりたいという人が集まるところに居て、バンドを組もうとしており、その中にマキも居た。
 「とりあえずビートルズはやろうよ!」
 サラリーマンみたいにしっかりした清潔感のある髪型をして、薄紫のシャツを来た人がまず言った。この人は濱野という名前だったが、このライブの後にサークルを辞めてしまった。
 「ビートルズ。いいね!何のアルバムが好き?俺はやっぱりラバーソウルかなあ」
 ビートルズほど、みんながみんなすべてのアルバムを聴いてて、アルバム単位で良さを話し合えるアーティストが居るだろうか。その会話にマキと僕も多少話を挟みつつ、とりあえずビートルズは演奏することに決定した。会話の中でやはりよく出てくるアルバムはリボルバーとかサージェントペパー、ホワイトアルバムのあたりであり、ビートルズ後期をあがめすぎる風潮は僕はそんなに好きでは無いが、おもむね楽しく会話に参加することが出来た。マキは、アビーロードが好きだと言っていた。その中で、急にマキが、自分はインディーズバンドで好きなバンド居るんだけど、よければこの曲やらない?と控えめに言い出した。基本的にはコピーをやることが多いライブだったが、インディーズアーティストの曲をやりたい、という人は珍しかった。そもそも、ジョンレノンと並べてインディーズアーティストの曲をやるのも非常に違和感があるのでは無いか、という結論に達し(あるジョンレノン信者は、ジョンの曲に対して失礼だ、とまで言い出した)、その案はお流れになった。結局会議で決まったアーティストは、ビートルズ、フー、ラスカルズだった。ビートルズはノー・リプライとドント・レット・ミー・ダウン、フーは恋のピンチヒッターとアイ・キャント・エクスプレイン、ラスカルズはグルーヴィンをやることになった。僕はギターだが、この程度のギターなら、朝飯を食べる前の小便くらい簡単に弾くことが出来た。

でも僕は、マキが好きだというインディーズ・アーティストのことが気になって、そのアルバムを貸してくれないか、と会議が終わって学生会館から出てきた時に言ってみた。
 「さっき言っていた、インディーズアーティストって、なんて名前なの?よければCD貸してくれない?」
 夜はすでに周りを包んでおり、なま暖かい春風が髪の毛を揺らしている。僕は、何か得体の知れない生き物の手で頭をなでられているような感覚になる。少し微笑んだマキは、名前は言わずに、いいよ。今度持ってくるね。と言った。

 CDを借りた日の夜に、僕たちは二人でお酒を飲みに行った。5月のはじめくらいで、たしかちょうどゴールデンウィークが終わった頃だった。大学の周りは学生街として有名であり、数えればきりがないほどの居酒屋・バー・ラーメン屋・定食屋・カラオケ・ビリヤード・麻雀店・古本屋・学生専用の貸金業者があった。一つしか無いものと言えば、メインストリートのちょうど終わりのところにあるボーリング店と、そのメインストリートから少しはずれたところにある、昭和からそのまま変わっていないのでは無いか、と思えるくらい古い木造の建物が並ぶところにあるラブホテルだけだった。風俗店はたしか二店舗あった気がする。
 僕らはお互い授業を受ける時間帯が合わないので、土曜日に集まって飲みに行くことになった。十七時三十分に駅を出て横断歩道を渡るとある広場で待ち合わせ、お互い寸分違わず時間の五分前にはそこに居た。待ち合わせ場所としても有名なその場所には、土曜日にも関わらず多くの人が居て、騒いでいた。その広場を囲むように、そんなに高くは無いビルが建ち並び、商店街を形作っている。ビルの内の一つは大きな電光掲示板によって彩られていて、駅前をさらに騒がしくしている。
 僕は一年生の時に何度か友達と行ったことのあるバーにマキを誘った。メインストリートのちょうど終わるくらいのところにある古着屋(古本も置かれていたので雑貨屋と呼ぶべきかもしれない)の二階にあったその店は、僕たちが好きそうな昔のロックンロールが流れるお店だった。イギリスのミュージシャンとアメリカのミュージシャン、あまり分け隔て無く店内に流れていたが、どちらかと言えばアメリカのロックが多かったように思う。行けばザ・バンドとか、ママス&パパスが流れていた記憶が多分にあるからだ。フール・ストップ・ザ・レインを聴いた時一緒に飲みに行ったのは、たしか高校の頃の友達で、今はインターネット関係のベンチャー企業で働いてるやつだった。今どうしてるんだろう。
 その古着屋の入り口の隣にある階段を、ラスト・ワルツと書かれた小さな置き看板を横目に見つつ登って行く。入り口は、ヨーロッパの森の奥にある木こりの家みたいな雰囲気で、切り株をスライスしたような木目の看板があり、またラスト・ワルツと書かれてる。
 何回か来たことがあるものの、バーのマスターとそんなに話したことは無い。多分顔を見たことがあるな、と思われてはいるくらいかと思う。
 店に入ると、バーのカウンターでは無く、店の端っこのほうにあるテーブル席に二人で座る。そもそも、前にも言ったようにマキも僕も人にあまり会話を聞かれたく無い人間なのだ。店内はそんなに広くは無く、本気を出せば十秒未満で店内を一周出来るくらいの空間だ。テーブルも、僕たちが座った席以外だと後三つくらいしか無い。
 カール・マルクスに似た風貌だが、決して太ってはいないマスターが注文を取りに来て、僕はビールを、マキはジントニックを頼んだ。飲み物が来るまで、何となく二人は無言だった。飲み物が来て乾杯を交わし、一口飲んでグラスを置いてから、やっと言葉がしゃべれる合図が出たみたいに僕たちはしゃべり出した。
 「マキちゃんから借りようとしてるこのCDだけど、レッド・パーキンスって言うの?どんな音楽なんだろう」
 「ぜんぜん、普通だよ。普通っていっても、私たちの年代のロック好きが聴くようなロッキンオン系のミュージシャンでは無いけど。音が古いって言うのかな。多分富田くんも好きだよ」
 「そっか〜楽しみだ。マキちゃんが好きなものなら期待できる。コピーしてライブでやりたい、っていうくらいだからね。なんでこのアーティスト知るようになったの?」
 マキはちょっと恥ずかしそうに言った。
 「実は、今つきあってる人がやってるバンドなんだよね。私、コール&レスポンスっていうレストランでアルバイトしてるんだけど、そこで知り合ってさ」
 このようなことを最初聴いて、僕は別に失望しなかった。たしかに、私のカレシのやってるバンドをみんなでコピーして!と言ってる女の子を見ると、大概の人は、よそでやってくれ、と思うかもしれない。でも、それを言ったのがマキだったので、僕はある想像をしたが、その想像に間違いはなかった。マキは、彼氏ことが好きなのでは無く、彼氏のやっている音楽が好きなんだと言っていた。
 「それで、彼氏はマキちゃんのことは好きなの?」
 「いや、そんなことは無いよ。私の彼氏は、自分の音楽が好きな私のことを好きなのであって、私のことを好きな訳ではないんだよね」
 「なんか、不思議な関係だね。マキちゃんも、彼氏のことじゃなくて彼氏の音楽が好きで、彼氏もマキちゃんのことが好きな訳じゃなくて自分の音楽が好きなマキちゃんのことが好き。単なるアーティストとファンの関係みたいじゃない?」
 「でもデートもするし、エッチだってするんだよね。しかも、本当に愛し合ってるの
。そういうのってたぶんわからないだろうな」
 「うん。わからない。なんか、芸術で結びつけられた男女とか、そんな言葉を使うとちょっとかっこいい気がするけど」
 「いいね、それ」
 その後も、マキの彼氏であるレッド・パーキンスのボーカルのトモユキについて少し話した後、サークルの説明会の後、目が合って少し見つめ合ったことや、お互いのささやかな過去のこと、古いロックンロール、最近読んでる本などについて話した。やっぱりあの時感じたシンパシーのようなものに間違いは無かった。お互いが持っている話題が、パズルみたいにうまくかみ合うのだ。決して、恋なんかでは無くて。僕とマキは、その後もよく飲みに行った。