小説5

 「妊娠して、精神科に行ってるの」
 「ほう。妊娠して、精神科。その文脈の無さは、まさしく、プログレッシブ・ロックだね。一つの曲中に、ドラムのリズムが八分の八拍子から、八分の六拍子に急に変わるみたいな」
 その電話があったのは先週の日曜日の夕方だった。僕は、だまし絵の階段みたいな土日を過ごしていた。登っても登っても上から下、下から上に行くような。何もしていないわけではない。つまらないブログを書いたり、ギターを練習したり、たまにくだらない曲を作ったり、もちろん僕もオナニーもする。何かしらしているけど、決してどこにも辿りつかない、そんな日曜の夜だ。
 「私はプログレは大嫌いなの。知らないかもしれないけど」
 近所のスーパーでビールを買っていた僕は、お釣りを出しながら、ピンク・フロイドの話を出す。目の前で僕らの携帯電話での会話を聞いてる女性店員はピンク・フロイドを知ってるだろうか。一瞬、川崎かどこかの風俗の名前とでも思うのではないか?
 「知ってるよ。いつもピンク・フロイドを部室でこきおろしてたじゃないか。俺とかマッカーシーとかが部室でピンク・フロイドを流しながら、ギターで雑音を鳴らしてかけあいをしてると、まるでミジンコがセックスしてるのを見てるような目で俺らを見てたじゃないか」
 「懐かしいね。巻島くんは、元気?」
 「マッカーシーは、今外資系の企業で働いてるみたいだよ。あれだけの屑人間がよく外資系で働けるもんだよね」
 「巻島君が屑なら、富田くんはたぶん・・・」
 「何?」
 「いや・・・いいたとえが思い浮かばないからいいや」
 「無人間かな」
 「うん?真人間?そんなわけ・・・」
 「無だよ。何も無い。無人間」
 「なんか、透明人間みたいだね」
 「ちょっと違うかな。もし、まだ〝透明人間〟とか〝無能な人間〟なら存在価値はあるけど、無人間はそもそも存在しちゃだめなんだよね。自然が真空状態を嫌うようにね」
 「でも、私は結構好きだよ。富田くんみたいな無人間・・・
あっごめん!車の音聞こえたから、彼氏が帰って来たみたい。来週の土曜空いてる?」
 「基本的に空いてるよ」
 「じゃあ武蔵溝ノ口に六時くらいに来てくれる?ちょうどお互い一本で行けるんじゃない?」
 「そうだね。行くよ」ぶちっ。

 それからまた一週間、仕事中という思考停止状態に陥りつつ、たまにマキとの会話を思い出して考えてみた。それは会社の休憩室だったり、客と話している最中だったり、朝食をコンビニで買ってお釣りをもらった時だったり。
 妊娠して→精神病院に行く。
 社会人になって否が応でも身につけなければいけなくなった論理的思考で考えると、
 ①初めての妊娠で、いろいろと不安なことがあり、マキが精神病になった。
 ②彼女を妊娠させてしまい、いろいろと不安なことがあり、彼氏が精神病になったから、その付き添いとしてマキも行っている。
 ③マキを好きだった第三者が、マキが妊娠してショックで精神病になったので、マキはお見舞いに行った。
 ④親族が、マキの妊娠に驚き、もしくはマキの妊娠とは関係無く精神病になったのでお見舞いに行った。
 くらいか。もしくは、これは無いと思うが、⑤妊娠して産婦人科に行くようになって、「看護師」という職業に憧れを覚えるようになって、看護師の資格を取って、今は精神科で研修中。
 いろいろと考えてみたが、一番有力なのは、①だと僕は考える。マキは、一度大学時代に精神を病んだことがあるからだ。


<続く>